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MT*2_10-風の又三郎 宮沢賢治 2009.9.26 第二巻 第十号 風の又三郎 宮沢賢治 【週刊ミルクティー*第二巻 第十号】 ※ ダウンロードを開始します。 (448KB) 月末最終号:無料 p.194 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(9項目)p.51 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。Windows Macintosh ハイブリッド。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 【T-Time 無償ダウンロード】 VOYAGER / ボイジャー 【新JIS漢字を表示できるフォントを入手しよう】 青空文庫 / —明日の本棚— (略)二人《ふたり》ともまるでびっくりして棒立《ぼうだ》ちになり、それから顔を見あわせてブルブルふるえましたが、ひとりはとうとう泣《な》き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室《きょうしつ》のなかにどこからきたのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪《かみ》の子供《こども》がひとり、いちばん前の机《つくえ》にちゃんとすわっていたのです。そしてその机《つくえ》といったら、まったくこの泣《な》いた子の自分の机《つくえ》だったのです。(略) 「あいづは外国人《がいこくじん》だな。」 「学校さはいるのだな。」みんなは、ガヤガヤガヤガヤいいました。ところが五年生の嘉助《かすけ》がいきなり、 「ああ三年生さはいるのだ。」とさけびましたので、 「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。 変《へん》なこどもは、やはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰《こし》かけています。 そのとき風《かぜ》がドウと吹《ふ》いてきて教室《きょうしつ》のガラス戸《ど》はみんなガタガタ鳴《な》り、学校のうしろの山の萱《かや》や栗《くり》の木はみんな変《へん》に青じろくなってゆれ、教室《きょうしつ》のなかのこどもはなんだか、ニヤッとわらってすこしうごいたようでした。 2_10.rm (朗読:RealMedia 形式 268KB、2'09'') 宮沢賢治 みやざわ けんじ 1896-1933(明治29.8.27- 昭和8.9.21) 詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』。 底本 風の又三郎 底本:岩波文庫『童話集 風の又三郎』 1951(昭和26)年4月25日 第1刷発行 1967(昭和42)年7月16日 第24刷改版発行 NDC 分類:K913(日本文学:小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html 2009.9.26:公開 2009.9.30:更新 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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第二節 宮沢賢治についての最近の二つの考察 ●押野武志『童貞としての宮沢賢治』(2003.4 ちくま新書) 題名の挑発的な調子そのままに、著者の思考は「オナニーをした(かもしれない)宮沢賢治」「賢治の性交恐怖」などオナニスムへの偏執を媒介として展開する。 意外と思われるかも知れないが、賢治の他者とのコミュニケーションの様相を童貞と自慰という用語から探索する試みは、賢治の安易な“聖化”へ異を唱えるための一般的な手法であり、青江舜二郎(*1)をはじめとして先行研究は多い。「(童貞であることに)賢治の自己犠牲による万人幸福の願いなどという高邁な思想を読むのは間違いだし、仏教的な禁欲主義から単純に説明できるものではない」(p.9)という断言は、歴史上のどこにも聖人の影を見ない今日の私たちにとってすでに十分に常識的だろう。だが、押野の主要な関心は、狭い意味での賢治論には存しない。むしろ押野にとっての最大の関心は、性欲と「贈与」(p.190 *2)のより汎歴史的問題である。「オナニーのような自己に与える快楽と、自己犠牲的に他者に与える快楽を賢治はどのように配分したのか。……(中略)……贈与が贈与であるためには、見返りや感謝を期待しない無償の行為でなければならないだろう」。無償の行為とは、行為が結果として無償であると同時にさらに行為そのものが根拠をもたないことも含意している」(p.14)という逆説的な「贈与」への疑問に集約される。 論考の順序としては、近代日本における小説家(白樺派がとくに注目される)や宗教者が自慰・童貞というテーマ、または性欲の処理をどのように扱ったかを概観し、オナニーを自閉的行為として否定する傾向へ執拗に疑問を呈し、抗がいつづける。続いて「共依存」「対人恐怖」「醜形恐怖」「摂食障害」「トラウマ記憶」などの精神医学的キーワードを基点としたパトグラフィック-病跡学的なアプローチが行われる。賢治の病跡学的論考の先行研究としては福島章の『宮沢賢治―こころの軌跡』があげられるだろう。福島が賢治を「天才」と称揚しつつ彼の病理を追体験しようと試み、結果的に賢治の生理学的特徴を、彼を称える隠喩の段階にまで引き下げてしまった失敗を踏まえてか、押野はあくまで象徴世界の明快さからこぼれ落ちた、一人称的で交換不能な、それでもなお他者を必要とする「性欲」を保全することを指向する。「性欲というのは、自分の内に帰属するものでありながら、統御するのが困難な外的なものでもあり、空想的にも経験的にも他者を必要とし、ひとりのうちに充足するものではない」(p.10) 押野の病跡学的出発点は、賢治が農学校教師時代に熟読していたハヴロック・エリス(Havelock Ellis /1859-1939)の『性学大系』である。賢治が大量の春画を収集していたことは有名だが、賢治と性科学者ハヴロック・エリスの影響を受けていたことはあまり知られていない。知人や教え子の証言にあるとおり、賢治はエリスの主著『性学大系』を原著ですべて揃えていた。(大正十年にエリスの著作は翻訳されていたにもかかわらず賢治が原著を読みこんだのは、豊富な実例や実験例の部分で報告されている性的倒錯や恍惚の表情などが検閲によって白紙になっていたからだとも考えられる。)その影響については小倉豊文(*3)や大塚常樹(*4)、杉原正子(*5)らによって指摘されている。特に大塚常樹の「「春谷暁臥」論」が賢治のエリス受容に関して精密な先行研究としてあげられるが、信時哲郎の「宮沢賢治とハヴロック・エリス―性教育・性的周期律・性的抑制・優生学―」(*6)も忘れるわけにはいかない。『春と修羅』の作品群の制作日の偏りが、グラフ化するとエリスの提示した性的周期律グラフとほぼ符合する点は、賢治が彼の「性欲」を明快かつ客観的な科学的合理性のもとに詩作に応用しようとした試みを示す。 この科学的合理性こそ、賢治が自身の一人称的な幻覚-ファンタズムを、他者にとっても自分自身にとっても理解-伝達可能な形式で検証するために採用した二つの方便のうちの一つである。(もう一つの方便とは、次章で考察する「法華経」である。)賢治が自身の幻覚-ファンタズム、およびそれを誘発する危険な衝動に科学的に証明された解釈を与えようとしてハヴロック・エリスの性科学に関心を抱いていたことはほぼ間違いない。大塚常樹は、賢治がエリスの著書を読んで最も関心を抱いただろう内容として「性的周期律の現象 (Phenomena of Sexual Periodicity)」の章をあげており(*4) 、教え子であった沢里武治も次のように証言している。(*7) 「ある日、例のごとく机を中にして先生と相対しいろいろのお話をうかがっていたら、先生はやおら立ち上がって戸棚の中から一枚のグラフをお出しになり、芸術と禁欲生活についての線を縦横に引張ったものを私に指し示し、いろいろとご説明下さいました。」 賢治は、彼が体験した事実を詩作のうちに、あるいは詩ではなく「心象スケッチ」として書きとめたあとで、それに科学的な解釈を与えようと試み、禁欲生活を、(そして性欲を、)芸術の原動力の大きな因子として提示する。賢治は彼の一人称的な幻覚-ファンタズムに翻弄されきっているわけではない。寄せては返す衝動に抵抗し、その衝動の周期的な部分を「性欲」として、性科学として秩序づける。それは彼の思考における新しい秩序をもたらしただろう。つまり彼は、彼の病的な状態の周期的変化にしたがって現れる混迷のなかで、数値化されたひとつの導きを手に入れる。 ただし、病跡学的論考の一貫した論理性はこの著作に求めるべきではない。採用されるデータは広範囲に渡り、検証は精密であるものの、押野の考察は主観的な推測を脱していない。例を一つ一つ挙げればきりがないが、賢治が二十一歳の時に徴兵検査で不合格になった体験がトラウマになって、後に摂食障害的な食に対する強迫観念を加速させたと診断するが(p.173・179)、賢治にとってこの事件がどれほどトラウマと言いうるものだったのか否かという問題について、押野が根拠として挙げているのは、「この(徴兵検査の)結果は屈辱的であったに違いない」という主観的な推測に留まる(p.112)。この体験以降、賢治が兵隊や軍事からの回避行動をみせた、あるいは毛嫌いするようになった(反動形成)のであれば、徴兵検査の不合格が賢治にかなりの影響を与えたと推論しされるだろう。しかし、実際にはそのようなことは起こらず、弟や親友保坂嘉内が入隊した時には気軽に兵舎まで面会に行って遊んできたり、書簡を往復させる。また後年の作品「朝に就ての童話的構図」でも軍の命令系統に素朴な愛着を示しており、トラウマと言えるまでの影響を与えたとは言いがたい。また、賢治とトシの関係を「共依存」であると診断するが(p.89)、依存症者と共謀的-利己的支え手の関係を指す「共依存」概念を、「信仰を一つにする」(*8)ことを指向する賢治とトシの関係に当てはめるのは見当違いだろう。もっとも、童貞とオナニーという用語が象徴的な論理照合性をくり返し中断するその状況こそ、意味形成の手前に留まる主観的な推測への寛容を私たちにもたらし、やはり断固として主観性に留まった宮澤賢治の諸作品をさらに楽しませてくれる準備をしてくれるのかもしれない。 ●大澤信亮「宮澤賢治の暴力」(『新潮11月号』2007.11 新潮社 *1) 第39回新潮新人賞評論部門受賞作であるこの評論は、詩、童話作品を書きはじめる以前の宮澤賢治について、軍事拠点であった明治末期の盛岡の状況や国柱会の位置づけなどを踏まえつつ、四〇年代戦時下の満州から、現代に至るまでの〈暴力性をおびた〉賢治受容を主題としている。 ただし、そこには賢治作品と戦争と戦後史をめぐる政治-経済的な因子を取り出して、時間の流れを再構成する、いわゆる理論的生産への関心はない。戦時中に賢治が「反戦的だったからではなく、好戦的な現実意識と、矛盾しない」(「宮沢賢治の価値」*2)と苦々しく振り返る吉本隆明を受け、「確かに賢治は好戦的な人物ではなかった。暴力を心底嫌っていた。にもかかわらず、その非暴力的な姿勢が「好戦的な現実意識と、矛盾しない」とはどういうことか」(p.67)という序盤の問いから大澤の論考は始められるが、あくまでも吉本の「熱情」を積極的に焚きつける賢治の「迫り来る死をも恐れなくさせる何か」(p.67)の素描に関心は向けられる。 つまり、ここで目指されているのは、宮澤賢治の過激な暴力性が田中智学を通じて引き出され、受肉され、やがて、非暴力への地平へと至る心性の反転不能な変容を、書簡や証言などの豊富な一次資料、受容文献を駆使して記述的に再体験することである。言い方をかえれば、「暴力を完全に否定していくとどうなるか」「人間にとって暴力とは何か。最終的な審級が物理的な暴力によって決定されているなら、言葉など暴力を担保にしたお喋りでしかないのではないか。だが言葉とはその程度のものなのか」という大澤自身の不穏な問いかけが向けられる言語的交通の場所で、〈暴力〉の考察を、賢治と(そして、大澤と)共になされることが読者には求められる。 様々な資料が縦横に裁断され、接続され、フラッシュバック風に積み重ねられていくこの評論は一つの「賢治論」としてももちろん読めるが、先の『童貞としての宮澤賢治』同様、(そして、本論考「恍惚の技法」と同様)、より普遍的な問題を扱っている。 大澤の作業がそれぞれの形で目指しているのは、〈暴力〉という、私たちにとって不可避な事態の、その不可避さから脱する試みを通じて形成される、あるひとつの精神状態、――すなわち童話「よだかの星」に見られる、殺されるよだかが、それまで自分が多くの生き物を捕食してきたことに慄然とし、自死を試みるような「暴力の循環小数の輪廻を断ち切ろうとすることが結果として自らを滅ぼす」破壊的衝動を再度心象化してみせることにある。 つまり賢治の内在的な破壊的衝動-〈暴力〉との対面こそが、本書の主題に他ならない。しかも正確にいえば、〈暴力〉との対面を通じて賢治の精神を占拠した苦痛の相貌を、言述の内容の水準で確認-検証するというよりも、細断された言述の重層そのものを通じて、その苦痛を大澤自身が実践し、感情状態として再演することが、ここでは重きを置かれている。 そのことからしても、『宮澤賢治の暴力』の章構成は、この大澤の関心と実践そのものに、より正直な整合性を与えている。賢治によって自らの「熱情」を奮い立たせようとする欲望から無縁であれなかった吉本隆明をはじめとする論評を扱う<1:宮澤賢治から出発する/出発した>、また賢治が田中智学に開かれた彼の暴力性を対象化しかね、徴兵検査を頼んだり、同人誌アザリアに「復活の前」と題した不気味な断章を投稿する大正七年(1918)に焦点をしぼる<2:賢治と国柱会>のような章から、苦痛の経験を自分と他者の区別において受容するとき、苦痛の経験そのものが忘却されてしまうという事情を、「よだかの星」のような苦渋に満ちた作品を書いて賢治がなぜ生きつづけられたのかという問いとして考察しはじめる<3:よだかと修羅――あるいは宮澤賢治の暴力>、その考察への賢治の(大澤の)回答である「あらゆる生物のほんたうの幸福」を願うことをくり返し断言する<4:燃えるゾルエンの結晶>、そして〈暴力〉をさらに与える原光景へと立ち返り、遺稿「銀河鉄道の夜」を再加工することで、〈暴力〉を感性の中心に構造化していく経緯を描く<5:銀河鉄道の他者>へと収斂され、また第三者へと開放される。 特に第五章の、 「賢治の暴力性は、智学によって引き出されると同時に保阪によって自らへと向けられた。決定的なのはこのターニング・ポイントであり、それが法華経というかたちを取ったのは偶然に過ぎない。だが、真に「信仰」に値するのはこのターン=転回だけだ」(p.96) 「「あらゆる生物のほんたうの幸福」という願いに他者の光が差し込まれている限り、彼はその公言に何度でも立ち戻り、自分が何を殺し、何を愛したのかを思い出させられるだろう。そのとき私たちは時間と空間を超えて”その現場”を反復し、”その人”と再び新しい約束を交わすことになるだろう」(p.97) という大澤の視点は本稿のそれと非常に近接しており、私(太田)は驚きを隠せない。 ただしこれは大澤と私の論理展開の指向する因子は別である。大澤が整理する自己破壊の二つの回路は以下のようなものである。(p.91) A:殺す自分を肯定→殺す他人を肯定→殺される自分を肯定→無限の自己破壊=? (「なめとこ山の熊」「烏の北斗七星」) B:殺す自分を否定→無限の自己破壊→殺す他者を否定=全否定 (ex.菜食主義、「或る農学性の日記」) 上記の二つには賢治の創作品群に暢気とさえ言える肯定的な調子をもたらす因子は不在である。賢治がその不在を受け入れたから、後年の過労に端を発する病死に至ったのだと言われればそれまでだが、『童貞としての宮澤賢治』で扱われた性欲という快楽と密接な〈暴力〉もその生々しさや不気味さを、上記の図は最初から刈り取ってしまう。 とは言うものの、賢治とともに思考するという点で近年においては最高水準に位置すること間違いのない大澤の論を踏まえて、以降の本論は展開される。 ●押野武志『童貞としての宮沢賢治』 (1)青江舜二郎『宮澤賢治―修羅に生きる』(講談社現代新書 1974) (2)贈与とは物を与えることであるが、一方が他方に贈与し続けるということは稀であって、贈与には絶えず、贈る/贈られるという相互性がある。さらに言えば、モース-バタイユが北米先住民のポトラッチを観察した通り、被贈与者は「贈られた物以上の物を贈与者に送り返す」ことが贈与の基本的構造である。つまり贈与は負債の意識とは切り離せず、絶えず交換のエコノミーに絡め取られる。やがて贈与は次第に儀礼化・制度化され、限りなく等価交換に近い形で、原初にあった善意や感謝などの感情をその運動のうちに忘れ去るだろう。そのため賢治は、「贈与が贈与に留まるためには、それが贈与であってはならない」というベイトソンの二重拘束のようなパラドックスに直面することになる。 (3)小倉豊文『宮沢賢治』「宮沢賢治の愛と性」(洋々社 1999) (4)大塚常樹『宮沢賢治 心象の宇宙論』「「春谷暁臥」論 《春》の象徴と、フロイト、エリス」(朝文社 1993) (5)杉原正子『賢治研究』「賢治とエリス (上・下)」(1994,1995) (6)「宮沢賢治とハヴロック・エリス―性教育・性的周期律・性的抑制・優生学―」(『神戸山手大学環境文化研究所紀要』vol.6 2002.3) (7)関登久也『賢治随聞』(角川書店 1960) (8)「無声慟哭」(1922.11) ●大澤信亮「宮澤賢治の暴力」 (1)未だ単行本として出版されていないため、ページ数はすべて『新潮11月号』と対応している。 (2)吉本隆明『初期ノート』(試行出版部 1967)
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ここでは『クソゲーまとめ』(当時。現在は『ゲームカタログ』に統合済み)と彼について記述する。 彼は『クソゲーまとめ』の編集者の一人であった。 だが実態は「好きなゲーム」「嫌いなゲーム」の記事を主観による私物化を目的とする荒らしの一人であった。そのため一連の良作・クソゲー判定は彼の主観による判定であり、客観的に見るとどうなのかという事の混乱を招いた。(*1) しかも規制されても変動IPにより再び出没するという行為を繰り返し、計10回以上の規制記録を作り上げた。 ちなみに彼は現在同Wikiでかの『BE』や『岡野 哲の(自称)取り巻き』や『勘兵衛』と同様の殿堂入り荒らし(危険人物)として永久規制されている。 なお姉妹Wikiである『良作・名作まとめ』と『ゲームカタログ(仮)』(当時)で起こした事も当記事で記述する。 また彼が関与したページにはよく修正依頼や要強化記事に修正・強化依頼が書き込まれるが、自ら修正する気配が一向に見られないのも特徴であった。 あまりにも香ばしくかつ強烈な存在観を持っていた故に、永久規制された現在でも、妙に香ばしい荒らしが出没した際に時折意見箱にて彼の名が例えられる事もある。 コピペ的テンプレ 彼が現れる土日及び祝日にはゲームの概要を書くポイント覧にほぼ必ず彼が関わったとされるポイントが登場する。それは以下の通り。 ポイント (自分の嫌いなゲーム)の再来 ゲームの出来うんぬん ○○自重しろ 彼が関わった記事では上記の文章を記述する確率が高く、これだけで彼が関わったのがバレてしまう結果になる。おかげで幾度も発見→規制をループするハメになった。 更に他の記事で他人が書いた記事の文章をコピペしたり、他人に削除された自分の主張を何故か注釈で復元することも多かった。 関与した主なページ クライムファイターズ、T.M.N.T.スーパー亀忍者、メタルスラッグシリーズ、キャディラックス 恐竜新世紀、パワードギア、ダンジョン ドラゴンズ シャドウオーバーミスタラ、キャプテンコマンドー、大魔界村、ダブルドラゴン、必殺無頼拳、沙羅曼蛇、デラックスパックシリーズ、沙羅曼蛇ポータブル、グラディウスシリーズ、BE(荒らし)。 これらのページでの行為についてはここやここも参照。 彼が作成したページは指定されているpukiwikiモードでは無く、こぞって@Wikiモードで作成するパターンが大半だった。 またこれらページを修正すると、自分の記事に差し戻したり、自分の主張を復元する悪癖もある為、彼自身は非常に悪質な荒らしとして問題視されることになった。 他、本物のクソゲーの記事に現れる事もあった。 そちらでは伝説のクソゲー一覧というリンクを無断で作成したり、(当然ながらその中にはクライムファイターズも存在)判定覧に「異論は認める」と無断で追加していた。どちらもバレバレの行為であるが。 主な事件 亀忍者事件 意見箱で何の議論もされていないにもかかわらず勝手に依頼所で管理人へT.M.N.T. スーパー亀忍者の裁定依頼した上、強引にクソゲー判定の裁定 (*2) を下させた。 その後、用語集へ亀忍者のクソゲー強調の為に手当たり次第書き込んだためこの辺りから本格的に問題視されるようになり、さらにKOTYWikiのダメジャーに関する記述で亀忍者について何度消されても書き込む行動をとったため、そちらでも本サイトに絡めて荒らし認定された。 更に、クソゲー一覧に勝手に画像を作成し貼り付ける行為を行い、その画像においては有名クソゲーと亀忍者を一緒にしていた。そして、勝手に注意書きの文面を書き換え自身の画像貼り付けを正当化し、削除させないようにしようとしたが当然のことながらルールの改鋳行為が許されることも無く最初の規制を食らうこととなった。 クライムファイターズ事件 亀忍者事件からしばらく立った2010年に起こった事件。 やはり亀忍者同様の編集合戦が起こり、やはりその最中で彼の規制が行われたが、その一週間後に再び出没しまた編集合戦に…の繰り返しとなってしまった。 なお編集合戦は翌年の1月まで続く事になり、依頼所でクライムファイターズの記事自体を凍結を提案する声もあった。 この事件で彼は本作に懲りたのか、他のゲームの執筆に着手。それは自身が嫌いな『沙羅曼蛇』であった。そしてそこでも事件が発生…と彼の執拗さを象徴する事件となった。 また続編のクライムファイターズ2の記事も独立記事として作成するが、お約束のスカスカの記事だった。この記事は後に文章だけ自分で削除しており、その際には削除の文字を変える行為を変えながら削除する、まるで他の利用者を舐めている行為を行っていた。 執筆依頼削除→永久規制事件 彼のクソゲーまとめ及び姉妹Wikiにおける出没→規制が、KOTY時代から幾度も続き、遂に用語集の執筆依頼に彼の項目作成依頼が書き込まれてしまった。 が、それが書き込まれてから1週間後の日曜日にそれが不自然な削除跡付きで削除されていた。…が特徴からして明らかに彼の仕業だとバレバレだった。そして意見箱で彼本人が削除したという書き込みがされた。それからこの書き込みの情報から、執筆依頼の削除騒動及び『必殺無頼拳』の荒らし行為から全て彼の仕業と見なされ彼は遂に同ウィキで永久規制を食らった。そしてKOTY時代からの関連ウィキでの戦いは遂に終わりを告げた。 要するに被害者が仕返しをしようとして弱点を突いたという事である。 同日、同サイト内でブラックリスト作成の提案が行われていたが、彼の殿堂入り後にブラックリスト作成されたという経緯がある。 ちなみに彼自身の記事が作成される前に作成された用語集の彼の項目では、かつてBEの被害にあったニコニコMUGENWikiでのメガクラッシュの項目作成者として書いてあったが、後にソース不明として修正されている。 再臨? 2012年元旦、修正依頼のページにこのような書き込みが確認された(現在は削除済み)。 他人の旧名を晒し、情報を晒してや批判、誹謗中傷等を書いている。他にも王様病等、侮辱かつ意味不明な言葉もあります。 上記のページは@wikiレンタルwikiサービスの利用規約の【禁止事項】での 3,誹謗、中傷、作為の虚偽情報等を流布することによって特定または不特定の第三者に著しい不利益をもたらす行為及び 本wikiトップページの禁止事項の(誹謗中傷、乱暴な表現)に該当する行為を行ったと考えます。 確かに気持ちはわかりますが、一部ページを荒らされた事に対する報復としてユーザー名の記事を立てて晒す行為はそのユーザーを不愉快に陥れ、極めて悪質です。 記事を書かれた本人がこの記事を見たらどう思うでしょうか?きっと間違いなく精神的ダメージを多大に受けるでしょう。 また、本人の情報が書かれたこの記事を見た人からの誹謗中傷、脅迫等の嫌がらせにより、その本人に被害または迷惑がかかる恐れもあるため、 それが原因で本人がノイローゼなどの症状や鬱状態などに陥った場合、加害者は名誉毀損や中傷罪などの犯罪行為ににより罰せられます。 いくらネットだからといってそのような事をし続けているようであればそいつらは いつかは現実世界で犯罪を起こしてしまうようになってしまうかもしれません。 そうならないためにも上記の記事の削除をお願いします。 どんな人でも誰かを犯罪者にしたくないでしょう。私も犯罪者が出てほしくないです。 (報復として他人の情報を晒す=そいつは犯罪者になる可能性が高い)と考えてほしいです。 本人も荒らしと言う過ちについては反省しているようですし、ページを削除したほうがいいと思います。 長文失礼しました 長くなるし面倒なので一つ一つ突っ込むことは避けるが、 無関係の第三者がどうして「本人も荒らしと言う過ちについては反省しているようですし」などと言い切れるというのか。 後日、この依頼文を書いた輩は規制された。管理人によると栃木からのアクセスでほぼ本人で間違いないらしい。 なお、意に沿わない者を犯罪者予備軍扱いする様子はニコニコ動画での自分勝手な削除依頼と酷似している。 住人もあまり触れたくないのか、さり気なく記事に追記された程度で、ほとんど話題になっていない。 ちなみにMUGENキャラの転載については2012年1月1日に数が増えている。全く反省していない。
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DL-MARKET 被災地支援チャリティー終了のおしらせ DL-MARKET 被災地支援チャリティーは2011年6月30日にて終了、7月5日に日本赤十字社あてに振込が完了のとことです。ご協力、ありがとうございました。 リンク先をチャリティー用から、通常購入用へ変更します。 2011.8.1:追記 【電子本を読んで、被災地を支援しよう! 一日一偽善!】 【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】 M-Tea*3_39-キュリー夫人/はるかな道(他)宮本百合子 http //www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/267.html M-Tea*3_38-春雪の出羽路の三日 喜田貞吉 http //www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/266.html M-Tea*3_37-津波と人間/天災と国防/災難雑考 寺田寅彦 http //www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/265.html M-Tea*3_36-地震の話(二)今村明恒 http //www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/262.html ※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。 チャリティー状況(2011.5.16 現在) チャリティー出品数:5個 チャリティー販売数:3個 第三巻第三六号:2個 第三巻第三七号:1個 売上金:600円です。感謝。 ※ DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画の詳細。 http //support.dl-market.com/charity/index.html 【被災地支援チャリティー *99 出版企画】 T-Time マガジン 週刊ミルクティー* 全バックナンバー140冊を一括セットで販売 http //www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/268.html ※ この企画は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格10,800円のうち DL-MARKET 手数料分を差し引いた9984円全額を日本赤十字社に寄付いたします。 M-Tea*3_41-グスコーブドリの伝記 宮沢賢治 2011.5.7 第三巻 第四一号 グスコーブドリの伝記 宮沢賢治 一 森 二 テグス工場 三 沼ばたけ 四 クーボー大博士 五 イーハトーヴ火山局 六 サンムトリ火山 七 雲の海 八 秋 九 カルボナード島 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第四一号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/137331) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (452KB) 定価:200円 p.173 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(4項目)p.34 ※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. はみだせ! 週刊ヒポクりィー* そして、ブドリは十になり、ネリは七つになりました。ところがどういうわけですか、その年は、お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけるとまもなく、まっしろな花をつけるコブシの木もまるで咲かず、五月になってもたびたびみぞれがグシャグシャ降り、七月の末になってもいっこうに暑さが来ないために、去年まいた麦も粒の入らない白い穂しかできず、たいていの果物も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。 そしてとうとう秋になりましたが、やっぱり栗の木は青いからのイガばかりでしたし、みんなでふだん食べるいちばんたいせつなオリザという穀物も、一つぶもできませんでした。野原ではもう、ひどいさわぎになってしまいました。 ブドリのおとうさんもおかあさんも、たびたび薪(たきぎ)を野原のほうへ持って行ったり、冬になってからは何べんも大きな木を町へソリで運んだりしたのでしたが、いつもがっかりしたようにして、わずかの麦の粉など持って帰ってくるのでした。それでも、どうにかその冬はすぎてつぎの春になり、畑にはたいせつにしまっておいた種もまかれましたが、その年もまた、すっかり前の年のとおりでした。そして秋になると、とうとうほんとうの飢饉(ききん)になってしまいました。もうそのころは、学校へ来る子どももまるでありませんでした。ブドリのおとうさんもおかあさんも、すっかり仕事をやめていました。そしてたびたび心配そうに相談しては、かわるがわる町へ出て行って、やっとすこしばかりの黍(きび)の粒など持って帰ることもあれば、なんにも持たずに顔いろを悪くして帰ってくることもありました。そしてみんなは、コナラの実や、葛(くず)やワラビの根や、木のやわらかな皮やいろんなものを食べて、その冬をすごしました。 3_41.rm (朗読:RealMedia 形式 408KB、3'17'') milk_tea_3_41.html (html ソーステキスト版 288KB) 宮沢賢治 みやざわ けんじ 1896-1933(明治29.8.27- 昭和8.9.21) 詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。 ◇参照:Wikipedia 宮沢賢治、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:「童話集 風の又三郎」岩波文庫、岩波書店 1951(昭和26)年4月25日第1刷発行 1997(平成9)年8月4日第70刷発行 http //www.aozora.gr.jp/cards/000081/card1924.html NDC 分類:K913.8(日本文学/小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html 難字、求めよ 豆玉 まめたま むしとりホイホイ ベンネン → ペンネン 【ペ、か】 熔岩《ようがん》がん → 熔岩《ようがん》が 【ん、削除か】 買っている → 売っている 【売、か】 以上3件、底本未確認。 スリーパーズ日記 殉死・殉職、献身、自己犠牲について。イエスの十字架はりつけ、アルカイダのジハード、仏教寓話の火中に投身するウサギ。 宮沢賢治の作品にはしばしば自己犠牲が描かれる。同じく手塚治虫の代表二作『ジャングル大帝』と『アトム』も自己犠牲で結末をむかえる。さらに宮崎駿『ナウシカ』『もののけ姫』も献身・自己犠牲を描いている。カミカゼ特攻隊やひめゆりの塔の女生徒だけにかぎらず、震災騒動の最中に大杉・伊藤らを殺害した甘粕正彦も、ロシア南下を防ぐために線路爆破を偽装した板垣征四郎・石原莞爾らもまた「社会の安全を守る」という名の下に自己犠牲の精神を発露したと見ることはできまいか。世間からの批判を承知のうえで、それを実行することこそ「大義」と思い込んでしまった。単身、敵地へ乗り込んだ世良修蔵らが、必要以上に虚勢を張って見せなければならなかったのも同じだろう。 ビン・ラディンが非武装だったとは結果的にいえることであって、最悪、自爆トラップがしかけられていたとしてもまったく不思議でない。突入するほうはそう考えたろう。サクリファイス。歌や芸術や小説ができることは、殉職・自己犠牲を讃美・美化することか……もしくは、その逆か。 9日『山形新聞』より「支援物資“在庫”山積み、県はNPOなどに活用を呼びかけ」。飲料水・非常食・紙おむつ・マスクなどの衛生用品・古着などが4トントラック換算で約65台分残っている、とのこと。 羽生善治『大局観』(角川書店、2011.2)読了。新手一生、惜福、ブラック・スワン。「大局観」では「終わりの局面」をイメージする。最終的に「こうなるのではないか」という仮定を作り、そこに「理論を合わせていく」ということ。簡単に言えば勝負なら「勝ち」を想像する。 2011.5.13:公開 八面玲瓏。 2011.8.1:更新 黒い白鳥……ほとんどありえない事象や、誰も予想しないような出来事の象徴。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 本号「M-Tea*3_41-グスコーブドリの伝記 宮沢賢治」もチャリティ商品の登録が完了したとの DL-MARKET からの報告がありました。みなさん、よろしくお願いします。 -- しだ (2011-05-16 22 16 21) 名前 コメント
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MT*2_27-種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 2010.1.23 第二巻 第二七号 種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第二七号】 (http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=51859) ※ ダウンロードサイト(http //www.dl-market.com)へジャンプします。 (472KB) ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 定価:200円(税込) p.155 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(25項目)p.106 飛び出せ! 目くそ鼻くそ! オリジナル版 ミルクティー*現代表記版 種山ヶ原 種山ヶ原 種山《たねやま》ヶ原《はら》といふのは北上《きたかみ》山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩《じゃもんがん》や、硬い橄欖岩《かんらんがん》からできてゐます。 種山ヶ原(たねやまがはら)というのは北上(きたかみ)山地のまんなかの高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩(じゃもんがん)や、硬(かた)いカンラン岩(がん)からできています。 高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五六軒づつの部落があります。 高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五、六軒ずつの部落があります。 春になると、北上の河谷《かこく》のあちこちから、沢山の馬が連れて来られて、此《こ》の部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻ってしまふのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯れはじめ水霜が下りるのです。 春になると、北上(きたかみ)の河谷(かこく)のあちこちから、たくさんの馬がつれてこられて、この部落の人たちにあずけられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持ち主にもどってしまうのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯(か)れはじめ水霜(みずじも)がおりるのです。 放牧される四月《よつき》の間も、半分ぐらゐまでは原は霧や雲に鎖《とざ》されます。実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気《しっき》のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来るのでした。それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行《ゆ》く旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るやうになります。その旅人と云《い》っても、馬を扱ふ人の外《ほか》は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅《わづ》かなものでした。 放牧される四月(よつき)の間も、半分ぐらいまでは原は霧(きり)や雲に鎖(とざ)されます。じつにこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気(しっき)のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷(かみなり)や霧(きり)は、いつでももうすぐ起こってくるのでした。それですから、北上川の岸からこの高原のほうへ行(ゆ)く旅人は、高原に近づくにしたがって、だんだんあちこちに雷神(らいじん)の碑(ひ)を見るようになります。その旅人といっても、馬をあつかう人のほかは、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんのわずかなものでした。 2_27.rm (朗読:RealMedia 形式 304KB、2'28'') 宮沢賢治 みやざわ けんじ 1896-1933(明治29.8.27- 昭和8.9.21) 詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 種山ヶ原 底本:「新修宮沢賢治全集 第八巻」筑摩書房 1979(昭和54)年5月15日初版第1刷発行 1984(昭和59)年1月30日初版第7刷発行 NDC 分類:K913(日本文学:小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html イギリス海岸 底本:「新修宮沢賢治全集 第十四巻」筑摩書房 1980(昭和55)年5月15日初版第1刷発行 1983(昭和58)年1月20日初版第4刷発行 NDC 分類:914(日本文学:評論.エッセイ.随筆) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html 疑問点 種山ヶ原 べらり → べろり、か? 以上、1件。 イギリス海岸 それはあちこちの 【行頭の全角スペース追加か。あるいは改行削除か。】 ヘり → へり 【へ、カタカナ注意】 以上、2件。 スリーパーズ日記 16日(土)、県立博物館にて考古学講座の始まる前、鉱物担当の学芸員にサンプル鑑定を依頼。昨年の暮れに山寺立石寺へ行き、地元で「赤文殊さま」とも「赤山(せきざん)明神」ともよばれる赤い洞穴から採取したもの。解説を聞いたところ「酸化鉄ではなかろうか」とのこと。 自分の初見も、鉄サビだろうかという推測だったけれども、洞穴内に鉄サビ特有のにおいがまったくしなかったこと、見なれた鉄サビの赤黒さとは異なるように思えること、地面に積もっている粉末微塵に鉄サビのザラザラ感がまったくなかったことなど疑問が残る。赤褐色にはちがいないが、どちらかというと、電気分解したばかりの銅のような青みがかったピンクのようにも見える。 鉄(くろがね)か。銅(あかがね)か。ほかに鉱物由来の赤というと丹(朱砂、硫化水銀)の可能性もなくはないが……山寺石(凝灰岩)の白さとは好対照。県内には、近くの幸生銅山(寒河江)、永松銅山(肘折)、延沢銀山(尾花沢)などが有名。鉄山はどうだったろう。(2010.1.23) 2010.1.23:公開 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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クソゲーまとめ @ ウィキ(跡地) クソゲーまとめ @ ウィキ(跡地)へはこちらから 特徴 発足 2011年9月21日 クソゲーをまとめていたwiki。2013年7月1日にゲームカタログ@Wiki ~名作からクソゲーまで~に統合され、今は機能を停止している。 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/library801/pages/363.html
更新日:2009-07-23 作者名: 宮沢 賢治 読 み: みやざわ けんじ 作 品: 「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「貝の火」「めくらぶどうと虹」 レ ス: 名作文芸・ここがアヤシイ http //www2.bbspink.com/801/kako/979/979005213.html 27 名前: 風と木の名無しさん 筒井康隆も宮沢賢治の作品に隠されたエロとホモを感じる旨の エッセイを書いていた。 32 名前: 風と木の名無しさん 27 賢治では「銀河鉄道の夜」なんかがわかりやすい例では? 36 名前: 風と木の名無しさん 賢治なら「注文の多い料理店」でしょう 色白で肥え太った男がすっぱだかになり体じゅうにバター(だっけ?) を塗られて喰われちゃいそうになる… デブ専? 賢治と友人の男性にかわされた書簡集を研究した本がありましたが、 精神的同性愛関係、と結論づけていました。 220 名前: 風と木の名無しさん 「銀河鉄道の夜」はかなりホモですよね? 「ぼくたちはずっととおくまで行こうね?」でしたっけ、カンパネルラ にジョバンニが言うシーンとか、なんか相当感じるものが・・・。 ただ、銀河鉄道の夜で脳内妄想しようとすると、どうにもあの、 アニメ化された、猫の二人が浮かんで来てつらい・・・。 映画自体は嫌いじゃないんだが。 221 名前: 風と木の名無しさん 220 あのネコ!!(藁 もーちっとどうにかならんか 可愛いけどさ~ 銀鉄は私もほもだと思った 227 名前: 風と木の名無しさん 銀河といえば、この前読んだ(といっても本屋で立ち読み程度なので パラパラっとだけど)宮座和犬時本、かなりやほいだった。 宮座和堅持はとても強く愛する親友がいたのだが、途中で仲違いして しまって、銀河鉄道は自分とその親友を重ね合わせたものだとかなんとか。 信憑性は定かではありませんが。 しかし、その親友に堅持があてたという手紙が凄い。 仲違いしかけの時に送ったものらしいのだけど、 「我が友●●(親友の名前)、我が友●●、吾を捨てるな。」って。おい。 228 名前: 風と木の名無しさん 銀河、はじめはヤホイ心で読むことなんてなかったのに、 片山先生の漫画版を見たら萌えてしまった・・・。 あぁなんか罪悪感。 でも 227にも萌えたりして。 229 名前: 風と木の名無しさん 228 私も片山センセイので萌え萌えでした 230 名前: 風と木の名無しさん 銀鉄はマンガ文庫版の巻末解説の「読み解き」が一見の価値アリかも。 久石錠やザバ家鴨の同名アルバムも心に染みる逸品だょ。 232 名前: 風と木の名無しさん 宮座輪件字といえば、ホモイという名の主人公の童話があったよね…。 なんでホモイ……。 233 名前: 風と木の名無しさん 私も銀鉄はネコの方が萌えた~(笑 升村宏スキーなもんで。 234 名前: 風と木の名無しさん 233 それって作画の人ですか? 235 名前: 風と木の名無しさん 234 YES. 作画の人ですよー。 マンガ版も出てます。 【活字】 801図書館 2 【総合】 http //pie.bbspink.com/test/read.cgi/801/1044893532/ 42 名前: 風と木の名無しさん カンパネルラ×ジョバンニといってみるテスト 689 名前: 風と木の名無しさん 「宮/沢/賢/治の青春」(角川文庫)はまだ出てないかな・・・? 賢治が、ほとんど恋に近い思いを寄せていた親友との出会いと別れを描いた評伝。 詩の引用も多く、萌えた(;´Д`)ハァハァ 【活字】 801図書館 4 【総合】 http //sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/801/1140162594/ 520 :風と木の名無しさん:2006/12/11(月) 13 59 33 ID MHBOpKU20 駆け込みは切ない。 熱烈片恋萌え(セツナス)としては 宮/沢/賢/治 の 「め/く/ら/ぶ/ど/う/と/虹」 がエロすぎて萌えた 521 :風と木の名無しさん:2006/12/11(月) 14 22 55 ID mjOe/rfe0 520 自分以外で「めくらぶ/どう/と虹」萌えの人初めて見た! 短い話だけど全編に渡って切ないよね ぶどうさんが「自分はあなたのためなら死んでもいい!私もいっしょに連れて行ってください!」 とか言ってるのに、虹さんは「いいえ私はどこにも行きません」とか言いつつやっぱり 一人で消えちゃうんだもんな…… 522 :風と木の名無しさん:2006/12/11(月) 21 03 50 ID /vRJepjy0 520-521 エロイというか萌えというか切なさというか、 色々詰まってるよね。本当に短い話なのに 侮りがたし賢/治 530 :風と木の名無しさん:2006/12/13(水) 17 50 14 ID W114gCwk0 521,522 仲間が!嬉しい 賢/治作品は童話的だったりストイックだったり 萌え所のある作品が多いけど、 め/く/ら は特に何ともいえない気持ちになるよね ▲PAGETOP 今日: - 昨日: - 合計: -
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M-Tea*3_23-銀河鉄道の夜(一)宮沢賢治 2011.1.1 第三巻 第二三号 銀河鉄道の夜(一) 宮沢賢治 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第二三号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/111015) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (572KB) 定価:200円 p.165 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(10項目)p.63 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright is public domain. 飛び出せ! 週刊ミルクティー* 「ですから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを大きな乳の流れと考えるなら、もっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油(あぶら)の球にもあたるのです。(略)」 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズをさしました。 「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶが、みんな私どもの太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが薄いので、わずかの光る粒、すなわち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒すなわち星がたくさん見え、その遠いのはボウッと白く見えるという、これがつまり今日の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれくらいあるか、また、その中のさまざまの星についてはもう時間ですから、この次の理科の時間にお話しします。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へ出て、よく空をごらんなさい。ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。」 そして教室じゅうはしばらく机のふたをあけたりしめたり本をかさねたりする音がいっぱいでしたが、まもなく、みんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。 3_23.rm (朗読:RealMedia 形式 384KB、3'06'') 宮沢賢治 みやざわ けんじ 1896-1933(明治29.8.27-昭和8.9.21) 詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。 ◇参照:Wikipedia 宮沢賢治、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本 底本:「銀河鉄道の夜」岩波文庫、岩波書店 1951(昭和26)年10月25日初版発行 1962(昭和37)年3月30日第13刷発行 底本の親本:「宮澤賢治全集 第三卷」十字屋書店 http //www.aozora.gr.jp/cards/000081/card46322.html NDC 分類:K913.8(日本文学/小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html スリーパーズ日記 静かな年越し。 複数の版が収録されている青空のなかから、旧字旧仮名しかない岩波文庫版『銀河鉄道の夜』(1951.10)を選択。真冬に銀河鉄道?……とも思ったが、活版つながりを優先。ルビ参照と本文確認のために講談社・青い鳥文庫版(1985.6)と角川文庫版(1969.7)を用いる。 2011.1.6:公開 愛はカエロウ、苦虫女。 石井慧、ジェッディン・デデン。 目くそ鼻くそ。PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*3_24-銀河鉄道の夜(二)宮沢賢治 2011.1.8 第三巻 第二四号 銀河鉄道の夜(二) 宮沢賢治 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第二四号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/111974) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (624KB) 定価:200円 p.159 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(18項目)p.176 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright is public domain. 飛び出せ! 週刊ミルクティー* そのとき汽車はだんだんしずかになって、いくつかのシグナルと転轍器(てんてつき)の灯をすぎ、小さな停車場に止まりました。 その正面の青じろい時計はかっきり第二時を示し、その振子は、風もなくなり汽車も動かずしずかなしずかな野原のなかに、カチッカチッと正しく時をきざんで行くのでした。 そしてまったくその振子の音の間から遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れてくるのでした。「新世界交響楽だわ。」むこうの席の姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと言いました。まったくもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのでした。 (こんなしずかないいところで僕はどうしてもっと愉快になれないだろう。どうしてこんなにひとりさびしいのだろう。けれどもカムパネルラなんかあんまりひどい。僕といっしょに汽車に乗っていながら、まるであんな女の子とばかり話しているんだもの。僕はほんとうにつらい。) ジョバンニはまた両手で顔を半分かくすようにして、むこうの窓の外を見つめていました。 透きとおったガラスのような笛が鳴って、汽車はしずかに動き出し、カムパネルラもさびしそうに星めぐりの口笛をふきました。 3_24.rm (朗読:RealMedia 形式 312KB、2'31'') 宮沢賢治 みやざわ けんじ 1896-1933(明治29.8.27-昭和8.9.21) 詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。 ◇参照:Wikipedia 宮沢賢治、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本 底本:「銀河鉄道の夜」岩波文庫、岩波書店 1951(昭和26)年10月25日初版発行 1962(昭和37)年3月30日第13刷発行 底本の親本:「宮澤賢治全集 第三卷」十字屋書店 http //www.aozora.gr.jp/cards/000081/card46322.html NDC 分類:K913.8(日本文学/小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html 難字、求めよ 琴(ライラ)の宿 バルドラの野原 むしとりホイホイ ザネリがね。 → ザネリがね、 【「、」か】 さやなら → さよなら 【よ、か】 おほねえさん。 → おほねえさん、 【「、」か】 いままた → いままで 【で、か?】 以上、4件。 スリーパーズ日記 気温が低く、乾いた降雪がつづく。積雪量は一〇センチに満たない。 司馬遼太郎『街道をゆく19 中国・江南のみち』(朝日新聞社、2005.7)読了。上海、活版の記述を期待したのだが、思惑はずれる。そのかわり、茶の話、ジャンク船、乾隆帝、天童山、道元のことなど。 山形県天童市の名称の由来はこれまで確認したことがない。市内あるいは県内に天童山という名の山も、これまで聞いたことがない。 『季刊東北学・特集宮崎駿の世界』(東北文化研究センター、2010.10)読了。八名の論考があるけれども、宮崎駿への賛辞の言を削除するとページ数が半減できそう。 入間田さんの論考を期待して読んだのだけれど、『もののけ——』パンフ寄稿の網野善彦氏批評に終始していたのは残念。パンフ寄稿では、おそらく映画クライマックスへの言及は不可能。それをもって網野さんを批評しても、あまり深みはない。中尾佐助・藤森栄一を並べて評じた安斎さんの「縄文幻想」は佳し。 2011.1.11:公開 2011.1.15:公開 さくらえび、大桃さるぼぼ、伊達なおと。 目くそ鼻くそ。PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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MT*2_9-セロ弾きのゴーシュ/なめとこ山の熊 宮沢賢治 2009.9.19 第二巻 第九号 セロ弾きのゴーシュ なめとこ山の熊 宮沢賢治 定価:200円(税込) p.129 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(7項目)p.52 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。Windows Macintosh ハイブリッド。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 【T-Time 無償ダウンロード】 VOYAGER / ボイジャー 【新JIS漢字を表示できるフォントを入手しよう】 青空文庫 / —明日の本棚— ゴーシュは、町の活動写真館でセロを弾(ひ)く係でした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく、じつは仲間の楽手のなかではいちばん下手(へた)でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。 ひるすぎ、みんなは楽屋にまるくならんで、今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。 トランペットは一生けん命歌っています。 ヴァイオリンも二いろ風のように鳴っています。 クラリネットもボーボーとそれに手伝っています。 ゴーシュも、口をりんと結(むす)んで眼を皿のようにして楽譜を見つめながら、もう一心に弾いています。 にわかにパタッと楽長が両手をならしました。みんなピタリと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。 「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやりなおし。はいっ。」 2_9.rm (朗読:RealMedia 形式 208KB、1'40'') #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第九号】 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (436KB) 宮沢賢治 みやざわ けんじ 1896-1933(明治29.8.27- 昭和8.9.21) 詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑』。 底本 セロ弾きのゴーシュ 底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社 1989(平成元)年6月15日発行 1994(平成6)年6月5日13刷 底本の親本:「新修 宮沢賢治全集」筑摩書房 NDC 分類:K913(日本文学:小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html なめとこ山の熊 底本:「風の又三郎」角川文庫、角川書店 1988(昭和63)年12月10日初版発行 1990(平成2)年10月20日8版発行 NDC 分類:K913(日本文学:小説.物語) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html 疑問点 セロ弾きのゴーシュ 合わないもなあ → 合わないものなあ 【の】か? あかし → あかり 【り】か? 以上、2件。 2009.9.23:公開 2009.9.24:更新 目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 「あかし」は「風の又三郎」にもあった。異なる出版でも「あかし」なので、誤入力・誤植の可能性は低い。 -- しだ (2009-09-30 21 09 22) 「合わないもなあ」は、筑摩の全集(底本の親本)でも、書店にあった新潮文庫でも、「合わないもなあ」でした。 -- あすなろ (2009-10-01 08 31 15) あすなろさん、こんにちは。確認どうもありがとうございました。方言だろうかとも考えましたが、ここだけ方言っていうのも不自然ですし……わからないモナー。 -- しだ (2009-10-03 07 13 26) しださん、おはようございます。信山社、教育出版の異本でも、「もなあ」になっていました。講談社の『日本現代文学全集』(1980年)は、「もんなあ」でした。あと、筑摩の『宮沢賢治資料館 原色複製』に、手書き原稿の複製があったのですが、やはりはっきり「もなあ」と記されていました。1,2カ所の確認だと反応してしまうモナー。 -- あすなろ (2009-10-06 08 50 34) あすなろさん、チェックありがとうございもなあ。 -- しだ (2009-10-09 08 08 16) いえいえ。こちらこそだもなあ。 -- あすなろ (2009-10-11 08 07 59) 名前 コメント